山の欠片~展示の風景page.9

 

山の本と写真展も残すところあと2日となりました。

毎日、毎日とても心地よく、森の中で深く呼吸をしているような展示の日々。

 

今日はmobloさんの持ってきてくれた本の中に隠れている、

とても好きな一説をお届けしようと思います。

 

 

 

 

 

結晶

 

 

私の中で、山は結晶する。

経験の重なりや、記憶や想い出とは恐らく別のところで、旧い山やついこのあいだの山が、

自分でも驚くほどの美しさで結晶することがある。

 

それは、いつの山もそうして残されている訳ではない。

どろんとした姿のままのことも勿論あって、想い出すたびに妙に辛くなるようなことだってある。

 

それなら、私の何かの努力が、この山の結晶に役立つのかと考えてはみるが、

どうも思いあたることがない。

それは努力だの、その山での意気込みだの、

まして天気の工合などに左右されることではなくて、

 

山自身が、私には気紛れとしか思えない仕方で、私の中に残る時に、

さまざまに結晶するらしい。

 

そのきっかけは、ひょっとすると、山を下りて来る時らしい。

山を去る時の私の気持ち次第で、

山に結晶の場をあたえるのではないかしら。

 

 

曇ることも、錆びつくこともない、屈折の極めて複雑な、

それがために何度も驚くような美しさを、

時たまちらっと見せてくれる結晶した山を、

私はやっぱり欲張って、沢山持ちたいと願う。

 

いま、一体そういうものを、どのくらい持っているか、

それは知らないけれど。

 

 

串田孫一/1957年6月

 

 

 

 

 

photo by kasane nogawa
photo by kasane nogawa

 

 

どうしてこんなに山に心をとらわれるのだろう。

 

きっとそれは、それぞれの心のなかで、きらり、きらり、、と結晶たちが

静かにひかり続けるからなのかもしれない。